2011年02月26日

佐藤優の的外れ忠告


「政治にとって重要なのは結果である」と佐藤氏は述べた。その通りだ。では「政治にとって重要なのは結果である」と断言した佐藤氏は普天間問題の結果を確実に解決する方法を提案しているかと言えるだろうか。

佐藤氏は「基地という戦時において必要とされるものを、平時においても置き続ける」という原口氏の見解を引用しているが、こんな軽率な基地論は基地抑止論に軽く一蹴される理論だ。日本は平時において北朝鮮に対する警戒を怠ったから、何十人いや何百人もの日本人が北朝鮮に拉致された。
また、南朝鮮に強い軍事力がなかったから北朝鮮が予告なしに南朝鮮を攻撃してあっと言う間に南朝鮮の95%の領土を支配した。戦争が起きてから基地を置いたら南朝鮮のように簡単に侵略されてしまう。過去の戦争の歴史を理解すれば、沖縄にアメリカ軍基地があるのは中国や北朝鮮に侵略されないためであり、その結果沖縄・日本は戦後65年も他国に侵略されていない。

「基地という戦時において必要とされるものを、平時においても置き続ける」ことが必要がないと主張するのであれば、沖縄・日本にアメリカ軍基地がなかった場合をシュミレーションして、アメリカ軍の基地がなくても他国に侵略されなかったことを証明するべきだ。原口氏も佐藤氏も専門家だ。そのくらいのシュミレーションはやらなければならないだろう。そして、{沖縄県民の心情}に左右されない、自分自身の客観的な見解を述べるべきだ。

革新側は、「アメリカ軍基地があるから、戦争が始まったら真っ先に攻撃される」とまことしやかに吹聴し県民のアメリカ軍への恐怖を増長していった。「戦争がはじまったら」といいながらどの国が攻めてくる可能性があるかは一度も言わなかった。ちゃんとアジアの国々について検討していけばアメリカ軍が駐留している沖縄を攻撃してくる国はなかった。つまり「戦争が起こったら」という仮定が全然根拠の仮定だったのだ。
アメリカと戦争をする可能性があった国はソ連、中国、北朝鮮である。しかし、ソ連はキューバを挟んで、1962年10月15日から13日間に渡って米ソ間の冷戦の緊張が核戦争寸前まで達した危機的な状況を体験した。ソ連はキューバ危機以後はアメリカとの直接的な戦争は避けるようになった。中国もアメリカとの直接戦争するのを避けていた。
アメリカ軍が沖縄・日本の安全を守ったのは事実だ。中国が台湾を侵略しなかったのもアメリカが台湾をバックアップしたからである。

「沖縄の構造的差別を、対症療法ではなく根本的に解消するという方針を政府が定めれば普天間の問題は解決する」と佐藤氏は述べている。
沖縄にアメリカ軍基地が存在する根本的な問題はアジアには民主主義国家と対立する中国を中心にした共産党一党独裁の社会主義国家があることである。この問題を抜きにしてアメリカ軍基地の問題を処理しようとしてもできるものではない。

辺野古移設を政府が決めれば名護市長が徹底して反対する。県外移設は受け入れる県がない。グアム移設は抑止力の面からできないし、グアムは海兵隊の移動さえ困難な問題が生じているのに、ヘリコプター基地の移設は非常にむつかしい。

辺野古移設に尽力してきた岡本氏は「ヘリコプター基地の規模を縮小して本土に移設するのを十年後を目処に目指すしかない」という見解を出したが、私はそれでも県外移設は無理だと思う。他の県では絶対に移設反対運動が起こる。アメリカ兵は殺人者で婦女暴行する鬼畜のような人間たちであるということを辺野古移設反対の人たちが新聞を通じて全国に広めた。そんなアメリカ兵を受け入れる県があるはずがない。

十年後には中国の脅威はほとんどなくなるだろう。そうずれば嘉手納基地の代わりは原子力空母ができる。だから、嘉手納基地を縮小してヘリコプター基地をつくることができると私は予想している。それまでは行き場の普天間ヘリコプター基地はそのままだ思う。ヘリコプターは狭い場所にも自在に行ける。ヘリコプターは攻撃だけでなく救出を得意とする。アメリカ軍は、万能なヘリコプター基地を最後まで沖縄に置きたいだろう。

普天間問題の根幹に「沖縄差別」はない。革新政党は社会主義であり反米主義である。だから沖縄の全ての基地を撤去することが目標であり、普天間基地撤去はそのひとつであって、普天間基地撤去だけを主張しているのではない。今は普天間基地撤去だけを主張しているように見えるだけだ。反戦平和主義は、基地があるから戦争が起きるという単純な被害妄想家であり、沖縄のすべての基地を撤去するのが目的である。彼らは沖縄内移設は絶対反対であり、辺野古移設については話し合いで解決するのは不可能だ。


キューバ危機とについての説明をウィペディアから引用した。子供の頃は核爆弾を貯蔵している嘉手納弾薬庫が見える場所に住んでいた。戦争が起こったら真っ先に攻撃されるということを子供の頃に聞いていたからキューバ危機については本気に心配した。キューバ危機を救ったケネディー大統領は私のヒーローだった。
キューバ危機以後も沖縄が他国に攻撃されるかどうかを心配し、世界情勢を気にしていたが、アメリカ軍が沖縄に駐留している限り、攻撃されることはあり得ないと確信を持つようになった。40年前のことである。

キューバ危機
これに対してアメリカ政府は激烈な反応を示し、ケネディ大統領はエクスコム(国家安全保障会議執行委員会)を設置し、ミサイル基地への空爆を主張する国防総省やCIAの強硬論を抑えて、第1段階としてキューバ周辺の公海上の海上封鎖及びソ連船への臨検を行うことでソ連船の入港を阻止しようとした。(これに対してソ連船は海上封鎖を突破することはせず、また臨検を受けることをよしとせず引き返した。)そしてアメリカ政府はNATOや米州機構の指導者たちに状況を説明し、彼らの支持を得た。

またケネディは10月18日にアンドレイ・グロムイコ駐米ソ連特命全権大使をホワイトハウスに呼びつけ懸念を表明し、ソ連政府の対応を迫ると同時に、10月22日にテレビ演説で国民にキューバにミサイルが持ち込まれた事実を発表し、ソ連を非難した。

さらにその後アメリカ軍部隊へのデフコン2(準戦時体制)を発令、ソ連との全面戦争に備えアメリカ国内のアトラスやタイタン、ソー、ジュピターといった核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢に置いた他、日本やトルコ、イギリスなどに駐留する基地を臨戦態勢に置いた。また、ソ連も国内のR-7やキューバのR-12を発射準備に入れた。

また、デフコン2の発令を受けて「全面核戦争」の可能性をアメリカ中のマスコミが報じたことを受け、アメリカ国民の多くがスーパーマーケットなどで水や食料などを買い占める事態が起きた。

交渉開始 [編集]その一方でアメリカはソ連へのミサイル撤去の交渉を開始する。その際10月25日の緊急国連安全保障会議でのアメリカ国連大使のアドレー・スティーブンソンが、キューバのミサイル基地を撮影した写真を示し、核ミサイルの存在を認めるよう迫ったが、ソ連国連大使のワレリアン・ゾリンにはぐらかされる有名なやり取りは、当時の米ソ間の緊迫感を示している。

10月26日にソ連からアメリカへ妥協案が示される。その内容は、アメリカがキューバに対する軍事行動をしないなら、キューバの核ミサイルを撤退させるというものだった。しかし、10月27日に内容が変更され、トルコに配備されているジュピター・ミサイルの撤退を要求する。これは、アメリカにとって受け入れがたいものだった。

さらにキューバ上空を偵察飛行していたアメリカ空軍のロッキードU-2偵察機が、ソ連軍の地対空ミサイルで撃墜されたこの日は「暗黒の土曜日」と呼ばれ、誰もが第三次世界大戦の勃発を現実のものとして受け入れた。

ミサイル撤去 [編集]しかし、ワシントン時間10月28日午前9時、ニキータ・フルシチョフ首相はモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表した。フルシチョフはケネディの条件を受け入れ、キューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体し、ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束、その後1963年4月トルコにあるNATO軍のジュピター・ミサイルの撤去を完了した。

キューバのカストロ議長は、この措置に激怒した。キューバが国家を挙げて対アメリカ戦に備えていたのにもかかわらず、キューバの頭上で政治的な妥協を、米ソで決定してしまったからである。一方、後のフルシチョフ首相の回想によれば、アメリカの度重なる偵察と海上封鎖に興奮したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫ったとされ、ソ連の方も、核戦争をもいとわない小国の若手革命家と次第に距離を置くようになっていった。

その後 [編集]その後キューバに対するアメリカの介入も減少し、冷戦体制は平和共存へと向かっていくことになる(デタント)。この事件を教訓とし、首脳同士が直接対話するためのホットラインが両国間に引かれた。一方、カストロは、米ソの頭越しの妥協に不快感を示し、ソ連への不信感をも募らせていくことになる(チェコ事件で和解)。カストロはその後ソ連に2回訪問し、フルシチョフと2人で事件について冷静に振り返っている。カストロは自らがアメリカを核攻撃をするようにソ連に迫ったことを記憶していないとしたが、フルシチョフは通訳の速記録まで持ってこさせて、カストロに核攻撃に関する自らの過去の発言を認めさせた。


フルシチョフ(左)とケネディ冷戦後わかったことは、キューバ危機の時点でソ連はすでにキューバに核ミサイル(ワシントンを射程に置く中距離核弾頭ミサイルR12、R14、上陸軍をたたく戦術短距離核ミサイル「ルナ」)を9月中に42基(核弾頭は150発)配備済みであり、グアンタナモ米軍基地への核攻撃も準備済みであった。さらに臨検を受けた時には自爆するよう命じられたミサイル(核弾頭を除く)搭載船が封鎖線を目指していた為、アメリカによる臨検はほとんど効果がなかったことである。また兵士の数は米側の見積もりの数千名ではなく、4万名であった。カーチス・ルメイ空軍参謀総長をはじめとするアメリカ軍はその危険性に気付かず、圧倒的な兵力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。

もしフルシチョフの譲歩がなく、ルメイの主張通りミサイル基地を空爆していたら、残りの数十基のミサイルが発射され、世界は第三次世界大戦に突入していた可能性が高い。しかし実はこの時点でアメリカ軍もソ連軍も相手を壊滅させるほどの核兵器がなかった。そのため中距離ミサイルをアメリカ軍はトルコに、ソ連はキューバに配備した。

解決までの経緯 [編集]
ロバート・ケネディ(1964年)なぜソビエト連邦のフルシチョフがキューバからのミサイル撤退を受け入れたかについては様々な説がある。よく聞かれる説には次のようなものがある。

ワシントン時間10月28日午前9時にケネディが緊急テレビ演説をするという情報がフルシチョフのもとに入った。そしてその演説に先立ってケネディは教会で礼拝をするという。開戦前のアメリカ大統領は開戦を告げる前に必ず礼拝に行くと聞いていたフルシチョフは、ケネディが開戦を決意したと勘違いしてミサイル撤退を決意した、というものである。

しかし、当時は情報機関の間では様々な不確実な情報が飛び交っており、ソ連のアレクサンダー・アレクセーエフ駐キューバ大使のところには「数時間以内にアメリカが武力侵攻するという確実な情報」が届けられ、これを知って激高したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫った。しかし、老練なフルシチョフは、この情報はアメリカの情報機関がソ連の情報機関に意図的に流したデマだとして取り合わなかった。ケネディが教会で礼拝をするという話を聞いてフルシチョフがあわててミサイル撤退を決意したなどというのは、ゴシップ誌の報道に過ぎない。

ケネディの側近だったセオドア・C・ソレンセンの著書「ケネディ」では、キューバ危機の米ソ対決が沈静化したのは、ロバート・ケネディ司法長官とアナトリー・ドブルイニン駐米大使が、ABCネットワークの記者ジョン・スカリーの仲介で深夜のワシントン市内の公園で密かに会って話し合ったときであったことが記されている。その会談で実際にどのようなやり取りがなされたかは具体的には書かれていない。しかし、当時のソ連の権力機構から考えて、駐米大使に決定的な権限が与えられていたとは考えられず、会談の存在が事実だとしても、この会談が問題解決に決定的な役目を果たしたとは考えられない。

なお当時のソ連の軍事力はアメリカの軍事力には遠く及ばない状況であり、仮に両国の全面戦争という事態になればソ連は核兵器を用いてアメリカにある程度のダメージは与えられたものの敗北するのは決定的であった。第二次世界大戦時にドイツを相手に苦戦した経験を持つフルシチョフはこのことをよく理解しており、アメリカの強い軍事力と強い姿勢に屈服せざるをえなかったのが国際政治の現実であったと考えられている。実際にフルシチョフは「正直なところ、アメリカが戦争を開始しても、当時のわれわれにはアメリカに然るべき攻撃を加えられるだけの用意はなかった。とすると、われわれはヨーロッパで戦争を始めることを余儀なくされただろう。そうなったらむろん第三次世界大戦が始まっていたいにちがいない。」と後に回想している。

この2年後にフルシチョフは失脚することになるが、フルシチョフが更迭された中央委員会総会では、キューバ危機におけるアメリカへの「譲歩」が非難されることになる。また、このキューバ危機を教訓として2つの国の政府首脳間を結ぶ緊急連絡用の直通電話ホットラインがソ連とアメリカ間に初めて設置された。



  

2011年02月25日

元沖縄県知事太田昌秀批判 11


「こんな沖縄に誰がした」大田昌秀著
アジア諸国に対する怨恨の種まきの地として p34

明治政府は最初に朝鮮半島を植民地にした。最初の戦争はロシアとやっている。次に清と戦争をしている。明治政府が目指したのは大陸進出であり、沖縄を軍事基地化はしていない。
沖縄に日本軍が増強したのは、アメリカ軍が日本本土を攻撃する足がかりを沖縄において、沖縄上陸を目指したからだ。仮定の話だが、もしアメリカ軍が沖縄を飛び越えて九州上陸を目指していたなら、日本は沖縄に大量の日本軍を置かなかったはずだ。
明治政府が沖縄を軍事基地化したという認識は間違っている。

アメリカ軍が南方からフィリピン、台湾へと進軍し、日本国の最南端である沖縄を日本本土攻撃のための基地にしようという目的で上陸したから沖縄戦は起こったことであり、「明治政府が沖縄を軍事化した」からではない。アメリカ軍が沖縄上陸をしなければ沖縄戦の悲劇は起こっていなかった。

太田氏はアジア諸国に脅威や怨恨の種を蒔いたのと沖縄の軍事基地化を関連づけているが、沖縄は軍事基地化はされていなかったし、アジアへの侵略は軍国主義がもたらしたものであり、アジア侵略について重要な問題の日本の帝国主義・軍国主義である。軍国主義は国内においては国民の自由を奪い、人権運動家や共産主義者を迫害した。戦争だけを問題にするのには疑問である。

アメリカ軍はイラクのフセイン独裁国家を倒した。そして、アメリカや国連のバックアップでイラクは民主主義国家に生まれ変わろうとしている。アフガニスタンでもアメリカ軍はイスラム原理主義のタリバン支配から人々を開放した。そして、民主主義国家に生まれ変わらせようとしている。

太田氏には独裁国家体制のもとで自由を奪われ、迫害されている人々の苦しみを救いたいという気持ちが全然ない。アメリカ軍は確かに「他国の何ら罪もない老幼婦女子を殺戮した」だろう。しかし、アメリカ軍は好んで「他国の何ら罪もない老幼婦女子を殺戮した」のではない。アメリカの目的は独裁国家を倒して民主主義国家をつくるのが目的であり、そのためのイラク戦争であり、アフガン戦争であったのだ。

アメリカ軍基地で働いている人たちに向かって「人殺しの手伝いしている」という中傷はひどいものである。

太田氏は、戦争だけを非難し、独裁国家、軍事独裁国家の体制が市民の自由を奪い、弾圧・迫害している

ことは問題にしない。アメリカが行う戦争だけを単純に非難するだけである。
太田氏は「沖縄の人々にとって心に深い傷を負ってしまう」というが、そんなことはない。それは太田氏のひとりよがりである。

アメリカ軍は民主主義国家になったイラクから軍隊を引き上げる。アフガンから引き上げるためにアフガンの民主主義化を進めている。チュニジア、エジプトで起きた市民革命を歓迎し応援しているのはアメリカである。

  

2011年02月24日

誰も正面から鳩山氏を批判していない




鳩山氏の「方便発言」は「この国の政治の本質にかかわることを、率直かつ赤裸々に語っている」と梅田正己は述べている。
鳩山氏の「方便発言」で鳩山氏が主張しているのは、
第一に、アメリカ軍の抑止にヘリコプター基地は不可欠であり、ヘリコプター基地をグアムに移設することは時期尚早であるということである。
第二は、県外移設は地元の反対が強いことと、ヘリコプター基地は他のアメリカ軍との連携プレーが必要だから、沖縄からの距離が限定されることでヘリコブター基地の県外移設は困難であり、実現しなかったことである。

鳩山氏が県外を目指しながら、結局は辺野古に戻ったことを批判するのは表面的な批判にしかならない。鳩山氏の「方便発言」を根本的に批判するのなら、鳩山氏が辺野古に戻った本当の理由である第一、第二の内容が間違っていることを証明しなければならない。ところが梅田氏は真正面からこの鳩山氏の主張を論破していない。
鳩山氏が外務、防衛の幹部に裏切られたことを責めたり、防衛、外務官僚は対米従属であると非難してもなんの意味もない。
梅田氏は、鳩山氏の「海兵隊が欠けると、(陸空海軍の)全てが連携している中で・・・広い意味での抑止力という言葉は使えると思った」と発言したのを引用して、苦しい苦しい言い回しであるといい、「問われていたのは、海兵隊そのものの抑止力だったはずだ」と、以前の鳩山氏が主張していたことを引用して、鳩山氏の「方便発言」を批判している。つまり、梅田氏は「ヘリコプー基地には抑止力はない」という以前の考えから「ヘリコプター基地は他の軍隊との関係で必要な存在であり、抑止力の一翼を担っている」という考えに変化したことを非難しているのであり、辺野古基地案へ戻った「ヘリコプター基地は他の軍隊との関係で必要な存在であり、抑止力の一翼を担っている」という鳩山氏の現在の考えを批判していない。

そして、在沖米軍が抑止力がないことを説明しないで「この国の政治化たちは在沖米軍をなくせると本気で考えていない。従って本気で取り組むつもりはない」と非難し、「この国の防衛、外務官僚は基地の撤去どころか、逆に存続を願っている」と述べている。確かに梅田氏の述べた通りである。

梅田氏は「普天間問題の発生源はもちろん米軍である。その米軍を、スクラムを組んでガードしているのが、日本の官僚。その官僚たちの指示の下に発言し、動いているのが政治家たちというのが、今回の"鳩山証言"から見えてくるこの政治の構図である」と分析している。

梅田氏の「普天間問題の発生源はもちろん米軍である。」は間違っている。
社会主義圏と資本主義圏の世界的な対立が根本的な原因である。アジアでは北朝鮮の南朝鮮の侵略によって朝鮮戦争が始まり、また北ベトナムが南ベトナムに侵略したベトナム戦争がはじまった。このように現実として者迂回主義圏の侵略があったのであり、アメリカは中国などの社会主義圏の拡大を防ぐためにアジアにアメリカ軍を駐留させた。そのひとつとして普天間基地が存在するのだ。

梅田氏は在沖米軍が必要ではないと主張するなら、戦後、アメリカ軍がアジアに駐留していなくても、日本や韓国、台湾、フィリピン等の国々が安全であったことを証明し、これからも安全であるということを証明するべきである。しかし、梅田氏はそれを証明することはできない。
現実は中国はベトナムやフィリピンとの領海争いで軍事力にものをいわせて中国の領海を拡大し、尖閣諸島の領海を中国漁船が占有していた。北朝鮮は韓国を攻撃したという事実があるのだ。

アメリカ軍の抑止力がなければ日本の平和は安定しないのは現実が証明している。

「歴代政権が積み重ねてきた日米間の合意信頼関係を安易に覆すことに無理があった」とする読売新聞の社説を梅田氏は非難している。梅田氏は国家と国家の合意を簡単に覆していいと主張しているのだ。ほんとうにそれでいいのか。それでは国家と国家の合意はなんの何の意味もない。お互いに不信感が増していくだけだ。

日本国家の安全や県外移設に移設について真剣に考えたのは梅田氏ではなく鳩山氏のほうだ。  

Posted by ヒジャイ at 09:48Comments(0)TrackBack(0)知識人批判

2011年02月23日

元沖縄県知事太田昌秀批判 10



裁判権の有様に見る国家権力の思惑
1891年(明治24年)、日本を訪問中のロシア皇太子・ニコライ(のちのニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備中の巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した。いわゆる大津事件である。この件で、時の内閣は対露関係の悪化をおそれ、大逆罪(皇族に対し危害を加える罪)の適用と、津田に対する死刑を求め、司法に圧力をかけた。しかし、大審院長の児島惟謙は、この件に同罪を適用せず、法律の規定通り普通人に対する謀殺未遂罪を適用するよう、担当裁判官に指示した。かくして、津田を無期徒刑(無期懲役)とする判決が下された。この一件によって、日本が立憲国家・法治国家として法治主義と司法権の独立を確立させたことを世に知らしめた。

このように明治政府は法治主義と司法権の独立を保障する近代国家をめざしていた。いわゆる、全国をひとつの法で統一する方向に政治を進めたのだ。

廃藩置県というのは近代国家を目指して、独立した法支配をしている藩を廃して県を置いて日本をひとつの法体制にするということである。
明治政府から琉球藩への命令書は、事件が琉球藩同士であろうが他府県人との間であろうが全て内務省出張所に訴えろとしている。琉球藩の民を他の県民と区別することなく日本国民として裁くということであり、国民は平等に扱うことを表している。
ところが太田氏は廃藩置県をしたのに憲法上の基本的人権を認めないのだと明治政府の命令書を説明している。そして、命令書は「法の下での平等」を保障しなくて、他府県とは差別して処遇したと命令書のないようを逆に理解している。
命令書からは、日本国民であるならどこの県の人間であろうと同じ裁判所で裁くということであって、法の下の平等をうたっているのであって、琉球王府のほうが全国統一の法にしたがうのを嫌っているのだ。

太田氏は日本政府のやり方を植民地政策であると理解しているが、明治政府は沖縄を日本国のひとつとして認めているのであって、沖縄を植民地としてあつかってはいない。太田氏の解釈はおかしい。

琉球王府は王府が薩摩支配時代のように沖縄を支配しようとして、それを許さない明治政府と対立しているのであり、太田市が明治政府を非難するということは、太田氏は琉球王府の立場に立っているからであり、琉球王府は独立国であると思っているから明治政府の政策が「植民地政策」に見えるのだ。


しかし、太田氏が「憲法上の基本的人権を認めない」とか「方の下での平等を保障せず」と書いているのにはあきれる。
その時代は憲法はまだないし、基本的人権というのもないのだ。
太田氏の時代錯誤はあまりにもはなはだしい。

琉球藩の池城親方は、琉球藩は他府県とは違うと主張している。池城親方は太田氏の理解とは逆の主張をしているのだ。琉球藩が裁判をするということは琉球王朝のやり方で裁判をするということである。琉球王朝は王が法であり絶対権力者ある。琉球王朝は法治国家ではないし、身分差別がある社会であり、武士には甘く農民には厳しい差別裁判をする。それは明治政府の目指していた法治国家とは違う体制である。
近代国家を目指し、法治国家を目指している明治政府が琉球藩に裁判権を与えるはずがながなかった。

ところが太田氏は琉球藩に裁判権を与えなかったことに反発している。琉球藩は琉球王国のままの体制であり、身分制度がある社会である。明治政府は江戸幕府を倒し、武士の特権を廃して四民平等の国家である。太田氏は四民平等の国家より王制国家である琉球藩を支持しているのだ。つまり、太田市は民主主義を否定しているのだ。

太田氏は「裁判権の所在をめぐる日本政府と琉球藩との以上のような対応を見ていると、戦後のアメリカ軍政も、明治政府の対琉球政策を踏襲したのではないか、という気さえする。」と述べている。

アメリカ軍政府が沖縄を統治していたときと、明治政府の琉球藩に対する対応の仕方は同じではない。全然違う。明治政府の場合は琉球藩を沖縄県にして日本の一部にしようとしたのであり、琉球藩の独立性をいっさい認めなかった。だから日本の法律を適用した。
しかし、アメリカ軍政府が統治していたときは、沖縄はアメリカの一部ではなく、半独立国として位置づけた。
だから裁判権は、沖縄人同士の争いとアメリカ人に対して犯罪を犯した沖縄人は琉球政府の裁判所が裁いた。そして、アメリカ人同士と沖縄人に対して犯罪を犯したアメリカ人はアメリカ軍が裁いた。
琉球藩が要求した沖縄人同士の事件は琉球藩で裁かせてくれという要求を明治政府は認めなかったがアメリカ軍は認めたのだ。

コザ騒動で沖縄人がアメリカ人の何十台もの自動車を燃やしたが、捜査から検挙、裁判まで琉球政府の警察と裁判所が取り扱った。アメリカ軍は一切介入しなかったと当時の検事が証言している。

明治政府の時代とアメリカ軍統治時代は背景も内容も違うのに明治政府とアメリカ軍を同一視する大田氏はおかしい。




  

2011年02月23日

鳩山氏より軽い知識人たち 2





ラミス氏は鳩山方便の記事を正確には読んでいないようだ。鳩山氏が辺野古案に戻ったのは県外移設が不可能であることを知ったからである。鳩山氏は九州でもかまわないと考えているほうである。ラミス氏の話は鳩山氏の「抑止力は方便」に対する批判になっていない。
抑止力というのはいつ何時でも戦争ができるという圧迫感を与えることであり、「アジアの国にヘリコプターで入って陸上戦をする訓練」が抑止力をもつのだ。ラミス氏は抑止力を理解していない。

岡留氏は鳩山氏が官僚に押し切られたといっているが、鳩山氏は抑止力論争で負けたのであり、官僚に押し切られたと簡単に片付けられるものではない。そして、鳩山氏の説明する抑止論については岡留氏は反論をしていない。

佐藤氏は「本当に県外・国外移設をやろうとしたら準備不足もいいところ」とあたかもちゃんと準備すれば県外移設ができると言っているが、それこそ無責任な言い方である。佐藤氏は真剣に「県外移設」の可能性を考えたことがないのだろう。



普天間「前首相かなりの責任」外交ブレーン苦言

 22日に行われた衆院予算委員会の中央公聴会で、鳩山政権で外交ブレーンを務めた外交評論家の岡本行夫氏が自民党推薦の公述人
として意見陳述し、鳩山前首相を批判する一幕があった。

 米軍普天間飛行場移設問題に長年取り組んできただけに、鳩山氏の無責任な発言で問題解決が遠のいたことに無念さを隠しきれなかったようだ。

 岡本氏は、首相当時の鳩山氏に「抑止力という概念を説明し、ご理解を得るよう努めた」と語ったうえで、「(沖縄県名護市)辺野古への(普天間飛行場)移設案は実現可能だったが、(鳩山氏が)『県外へ』と言ったため無理になった。前首相にはかなりの責任がある」と苦言を呈した。

 岡本氏は「与野党協力し、沖縄の海兵隊を小さくして本土に持ってくる閣議決定でもして……」と提案もしたが、その表情と言葉には疲労感が漂っていた。

(2011年2月22日22時04分 読売新聞)


岡本氏は、鳩山前首相が県外移設が困難であると知ったときにブレーンになった人だ。岡本氏は中国の覇権主義の拡大を抑止するにはアメリカ軍は必要であると考えている。フィリピンからアメリカ軍が撤去すると、すぐにフィリピン近くのナンシャ諸島に中国軍が基地をつくった事実を指摘した人物でもある。

アメリカ軍は抑止力として沖縄・日本に駐留する必要があるかどうかの根本的な問題を論争する必要がある。共産党や社民党や社大党は復帰前からアメリカ軍基地撤去を主張している。沖縄の革新政党はアメリカ軍不要論者であり反米主義者である。名護市長や宜野湾市長は「アメリカ軍基地は抑止力がない。それどころかアメリカ軍が駐留しているから沖縄が戦争に巻き込まれる恐れがある」という考えから辺野古移設反対である。

佐藤氏、岡留氏、ラミス氏はアメリカ軍の抑止力を肯定するのかそれとも否定するのか、立場を明確にするべきだ。  

Posted by ヒジャイ at 08:41Comments(0)TrackBack(0)知識人批判

2011年02月22日

鳩山より軽い知識人たち 1


鳩山氏の「方便発言」について三者の座談会が掲載された。

鳩山氏は「非常に幅広い米軍の存在がワンパッケージで、海兵隊も海軍もあり、一体となって沖縄を中心に、横須賀もあるが、全体の構成の中で抑止力がある」とはっきりと発言している。もし、鳩山氏を批判するのなら、鳩山氏認めざるを得ないこの理論を覆すべきである。
ところが、佐藤氏は「普天間の県外、国外移転が重要な政策なら罷免すればよかっただけの話」と意見の違う閣僚や官僚を軽く片付ければ解決するような言い草だ。閣僚や官僚を言うことを聞かないなら簡単に首にするというのは独裁者のやり方だ。それに辺野古よりも重要な政治課題はたくさんある。辺野古問題だけで意見が違う閣僚や官僚を首にしたら政治が破滅する。
「最終的に辺野古がしようかないという思いが鳩山さんにあったと思う」と勝手に鳩山氏の心情をでっちあげることによって、鳩山氏が官僚に論争で負けた理論に対する反論をしないですませている。
鳩山氏は本気で県外移設をしようとしたのだ。しかし、現実的には県外移設が不可能であることを思い知らされたのだ。「最終的に辺野古がしようかないという思いが鳩山さんにあったと思う」なんて勝手に思うのはおかしい。

岡留氏は県外移設ができなかったのは、北沢防衛相や岡田外相と官僚の壁に阻まれたせいであるとしている。そして、「辺野古を一番欲しいのは防衛官僚だと思う」と説明することによって、辺野古に戻らざるを得なかった鳩山氏の「非常に幅広い米軍の存在がワンパッケージで、海兵隊も海軍もあり、一体となって沖縄を中心に、横須賀もあるが、全体の構成の中で抑止力がある」という釈明を無視している。これじゃあ的外れの批判だ。

ラミス氏は「米国に従うしかないと信じる日本の固定観念も強い」と対米追従主義を理由にしている。しかし、最近公開された沖縄復帰の公文書を見れば、日本官僚は日本に有利になるようにアメリカとの駆け引きに苦労していることが分かる。対米追従主義に見えるのは表面しか見ていないからだ。鳩山氏は「非常に幅広い米軍の存在がワンパッケージで、海兵隊も海軍もあり、一体となって沖縄を中心に、横須賀もあるが、全体の構成の中で抑止力」があるという理論に屈服したのであり、単なる対米追従ではない。




鳩山氏の失敗からなにを学ぶべきかという質問に、

岡留氏は「日本の霞ヶ関を壊さないといけない」と現実的ではない提案を威勢よく言っている。そして、官僚が鉢山氏をグアムなどの組長に合わせなかったとか橋本知事と交渉しなかったことを非難している。
しかし、グアム移転は論外であり、橋本知事は普天間基地の訓練や一部移転に協力できるかもしれないと発言していたのであり、普天間基地を受け入れる考えは全然なかった。橋本知事と会うことが無駄だったから会わなかっただけであり、グアムなどの組長や橋本知事と交渉しなかったことを非難する岡留氏の常識が疑われる。


佐藤氏はアメリカに別のことを考えようと一度も直接米国に働きかけていないことに衝撃を受けたと話しているが、米国は自民党時代に普天間移設の場所を調査し、その結果辺野古移設がベストであるという結論を得た。日本政府もそれで納得した経緯があったのだ。
これまでの過程からすると、日本政府が普天間基地移転の新しい場所を見つけ、そこはどうかと米国に尋ねるのが筋であって、一緒に別の場所を探そうなどと米国にいえるわけがない。佐藤氏の常識が疑われる。

鳩山氏の失敗からなにを学ぶべきか、

鳩山氏が普天間ヘリコプター基地を県外に移設する気があったとしても、辺野古移設に決まるまでの経緯を知ることが第一だった。鳩山氏は普天間移設が最初は辺野古沖であったが、その案が頓挫した理由を知っていただろうか。そして、県外移設は「総論賛成各論反対」であるゆえに移設を受け入れる県がひとつもなく、結局は辺野古に戻りV字滑走路案を出して地元の了解を得ようとした担当者の苦労を知っていただろうか。知っていればヘリコプター基地を新しく作ることがとんなに困難であるのかを知っていたはずだ。
ヘリコプター基地はアジア戦略に関係する軍事問題だから軍事専門家の話を聞くべきだった。そして、中国、北朝鮮情勢、フィリピン、台湾、ベトナムの政治・軍事情勢も専門家から聞くべきだった。
そして、移設ができる確立が90%以上になるまで沈黙を守ることだった。

沖縄県の辺野古移設の反対の理由は基地被害が第一である。鳩山氏もそのことは知っている。この第一の理由は全国共通であり、どの県も同じ理由で普天間基地の移設を拒否するのは見え見えだ。それなのに県外移設を目指すのは無謀であったのだ。
閣僚や官僚が一致団結して真剣にとりくめば県外移設が実現すると考えるのは甘い。

佐藤氏、岡留氏、ラミス氏の座談会は井戸端会議だ。



  

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2011年02月21日

鳩山方便はマスコミのでっちあげ 2





新聞は「方便発言また釈明」という見出しで、あたかも鳩山氏の発言に変化があるような印象を持たせているが、「普天間の海兵隊ヘリ部隊の役割は決して敵を襲うものではなく、(当初f)それを抑止力と言い切るのは無理があると思った。しかし、地上部隊とヘリ部隊は密接で離せない米側の理屈、さらに空軍、海軍、海兵隊パッケージ全体が抑止力だとの言われ方をすると、なるほどと(考えた)」という考えはインタビューの時にもはっきりと述べている。だから、鳩山氏の言動が変化したわけではない。ところが新聞は鳩山氏の発言が変化したような印象を与えている。

横の記事では、鳩山氏が県外移設を断念するいきさつを書いている。鳩山氏が真剣に県外移設を目指していたことが窺える。しかし、小泉首相時代に県外移設を目指して自衛隊幹部に調査させた結果「総論賛成各論反対」のために県外移設は無理であるという結論に至った経過の調査資料を検討しなかった。調査資料を検討すれば県外移設が不可能であることを知り、あれほどの大騒動になることは防げたはずだ。
岡本氏は小泉首相の顧問であり、辺野古案を推進した人物だから、県外移設が無理であることを熟知している人物である。

鳩山氏のインタビューで県外移設は無理であるということが分かる。ところが新聞は、県外移設が実現できなかったのは、官僚や閣僚に見放された性だと締めくくっている。まるで官僚や閣僚が団結して県外移設を検討すれば実現できたかのように書いているが、新聞自体が客観的な意見を持っていないことが明確である。地元の新聞だから県外移設が無理であるということは口が裂けても言えないのだ。

新聞よりひどいのが三市町長である。金武義武町長は尖閣諸島の領海が中国漁民に占領されていた事実があり、北朝鮮の韓国攻撃、ミサイルが日本上空を飛ばしたりした事実があるのに、尖閣問題や北朝鮮問題の現実に起こっている危険性を概念的な抑止力と認識しているのにはあきれる。金武義武町長にとって尖閣問題も北朝鮮問題も他人ごとなのだ。
宜野湾安里市長も沖縄の基地には抑止力はないと認識している。

戦後65年間、アジアでは唯一日本・沖縄だけは内乱も戦争もなかった。それはアメリカ軍が駐留していたからだ。アメリカ軍の戦後日本でやってきたことを軽く見ているということは、沖縄の歴史そのものを客観的に認識していないということだ。

三市町長の浅い認識は野党時代の鳩山氏と同じだ。もし三人が首相になったときは鳩山氏と同じパターンをたどるだろうな。





  

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2011年02月19日

「方便」はマスコミのでっちあげ 





鳩山氏は、「海兵隊も地上部隊とヘリ部隊が切り離せないとの話になり、全体としての米軍の存在があるんだ」とヘリ部隊の存在意義をきちんと説明した上で「抑止力」という言葉を使っている。選挙中に「最低でも県外」と発言していたときの鳩山氏はヘリコプター基地の役目を理解していなかった。

ベトナム戦争の時、サイゴンが陥落寸前のときにベトコンに包囲された南ベトナム側の人々を救ったのはヘリコブター部隊だった。カンボジアのクーデターのときもヘリコプターは同じ働きをした。また、フィリピンのイスラム原理主義の部隊と戦ったときもヘリコプターを使った。ヘリコプターはジャングルの戦闘で活躍すると同時に、敵に囲まれて脱出できない者を救出するのに必要である。戦争は戦闘だけではない。傷ついた兵士を運んだり、窮地に追い込まれた部隊や民間人を救出するの戦争のひとつだ。ヘリコプターは戦争になくてはならないし、暴動が起こった時や自然災害の時もヘリコブターは活躍する。

「抑止力」は嘉手納飛行場や原子力空母、潜水艦、スパイ衛星などのアメリカ軍全体で働くのであり、ヘリコプター基地も重要な存在である。一部の部隊が「抑止力」を持つものではない。鳩山氏は首相になり、普天間基地を県外に移す行動に出て初めて、官僚たちに「抑止力」ついて説明されてそのことに気づいたということだ。

「最低でも県外」を公約にしていた鳩山氏は官僚の説明に本当に納得したかどうかは疑わしい。まだ、本当には納得していなくて、論争でやり込められたことに不愉快な思いをしているかもしれない。だから、記者に言葉尻を取られて「抑止力」という方便が必要だったのかという誘導尋問に乗って、「それを方便と言われれば方便だが」といったのだ。しかし、鳩山氏は「方便」とはっきり言ったのではなく。中途半端な言い方をしている。それは県民に向かって「最低でも県外」と公言したのに、辺野古に戻ってしまったことを県民に大変すまないことをしてしまったという気持ちあったからだろう。

鳩山氏はきちんとアメリカ軍の全体が抑止力であり、その一翼をヘリコプター基地が担っていることを説明した上で「それを方便と言われれば方便だが」と述べている。ところがマスコミは鳩山氏の首でもとったように「方便」を大々的に宣伝したのだ。

鳩山氏の発言の中で真剣に検証しなければならないのは、「海兵隊も地上部隊とヘリ部隊が切り離せないとの話になり、全体としての米軍の存在があるんだ」の発言だ。普天間基地の辺野古移設反対を主張する人たちはヘリコプター基地は抑止力がないことを根拠にしている。しかし、ヘリコプター基地を単独に判断してはならないというのが鳩山氏の説明だ。サッカーは、11人の選手がゴールキーパー(GK)、ディフェンダー(DF)、ミッドフィールダー(MF)、フォワード(FW)の4種の役目に分かれ、それがひとつのチームとして闘う。それと同じようにアメリカ軍の「抑止力」はそれぞれの役目を持った部隊の総合力で効果を発揮するということだ。

嘉手納飛行場の代わりは原子力空母ができるが、ヘリコプター基地の代わりは原子力空母では難しいだろう。

革新政治家たちは沖縄のアメリカ軍基地はアメリカの安全を守るために押し付けられていると主張するが、日本政府は日本の安全を守るためにアメリカ軍駐留を望んでいたことは否定できない。
  

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2011年02月18日

元沖縄県知事太田昌秀批判 10


土地の強制収用問題が起こる  24ページより

太田氏は、1876年(明治9)から始まる沖縄への日本軍分遣隊の沖縄駐留による土地接収も戦後のアメリカ軍による強制土地収用は類似した問題であり、琉球藩首脳が明治政府から受け取った土地代金を詐取したことと、琉球政府時代に土地代金の一括払いに賛成したことは同じ行為であると断じ、多くの民の利益が損なわれても自らの支配的地位、権力を得た人間たちであると決め付けている。

琉球藩首脳が日本政府から土地の代金を受け取りながらも地主に払わないで詐取したのは犯罪行為であり許されるものではない。だから後々に琉球藩首脳の詐取が帝国議会で問題になったのだ。しかし、戦後のアメリカ軍用地代金の「一括払い」に賛成するのは政治的判断の違いであり「犯罪行為」でもなければ「裏切り行為」でもない。
むしろ太田氏はアメリカ軍を絶対悪とみなしてアメリカ軍が沖縄に駐留しているのは間違っているという考えは偏っている。日本軍がハワイを奇襲攻撃したことから太平洋戦争は始まったのだ。アメリカは日本の軍国主義復活を恐れて日本を民主主義国家にしようとして日本に駐留したが、北朝鮮の南朝鮮への侵略、中国の共産党独裁国家の誕生があり、社会主義圏の拡大を防ぐためにアメリカ軍の駐留が本格的になった。そのような歴史の流れを見れば、アメリカ軍を悪と決め付けるのは間違いだ。
太田氏は軍事基地を「諸悪の根源」と決め付け、辺野古の普天間基地移設を容認することは「アメ」と「ムチ」政策に翻弄されているとして基地を誘致することは暴挙であり犯罪行為であると断言するのは一方的な判断である。


太田氏は現在の沖縄における基地や土地問題の悪しき実情は、まさに「薩摩の琉球侵略」時代と明治時代時代の対沖縄政策の延長線上あるといっても過言ではないと言い切っているが、それは違う。「薩摩の琉球侵略」、明治時代時代の対沖縄政策、アメリカ軍基地や土地問題はそれぞれ内容が違うし、沖縄の人々に与えた影響も違う。

薩摩の琉球侵略・・・「薩摩の琉球侵略」は封建時代を背景にしている。封建社会では武士と農民は身分差別されていて、土地は武士のものであり、農民は武士の所有物に等しかった。封建社会では武士同士の領土争いの時代だった。武力に強い武士が弱い武士の領土を奪い取る武力実力主義の時代に「薩摩の琉球侵略」は起こった。実力で琉球を支配した薩摩の行為は当然の行為であった。
沖縄でも三山時代があり、三山の中で尚巴志が一番強かったから三山を統一したということだ琉球王朝は八重山、大島も武力で制圧している。
太田氏は「薩摩の琉球侵略」を琉球処分などと称して琉球国を被害者のように見ているが、琉球王国も武力で八重山や大島を侵略したのだ。薩摩が侵略者であるなら琉球王国も侵略者である。太田氏は北山と中山を武力で制圧し、八重山、宮古、大島を侵略した尚家が作り上げた独裁国家の琉球王国を美化しているのだ。
琉球王国は独裁国家だったのだ。北朝鮮、中国、ミャンマーは独裁国家であった。そして、アメリカ軍が崩壊させたイラクも独裁国家だった。先週崩壊したエジプトも独裁国家だった。大田氏は独裁国家と民主主義国家を区別していない。

「薩摩の琉球侵略」の本当の犠牲者は琉球王朝ではない。本当の犠牲者は農民だ。薩摩に侵略されたからといって琉球王国の武士たちが野に下ったわけではない。彼らは以前として支配者の地位に君臨し農民から搾取したのだ。農民は薩摩と琉球王国の二重に搾取されますます貧しくなった。

明治時代時代の対沖縄政策・・・明治時代は日本が近代国家へと大きく変貌する時代であり、封建主義にこだわる琉球王国が中央集権近代国家へ変貌する明治政府に飲み込まれていく時代である。封建社会の独裁国家である琉球王国が支配するより明治政府の中央集権国家に組み込まれたほうが沖縄の庶民にとって歓迎すべきものである。廃藩置県によって人々は琉球王国の身分制度の縛りから開放されて、自由になった。本土に自由に移動することができ、農民の女性は本土に出稼ぎにいけるようになった。

アメリカ軍基地や土地問題・・・戦後はアメリカ民生府に政治改革によって、沖縄の人々は戦前よりも自由になり、活発な経済活動ができるようになった。二十歳になったら身分、貧富に関係なく投票ができるようになったのもアメリカ民政府時代からである。アメリカ兵の犯罪を沖縄の司法で裁くことができないという問題はあったが、県民同士の関係は自由で平等になり政治も三権分立を確立した。それはアメリカの指導によるものであり、戦前よりも沖縄の人々の幸福度はあがった。
  

2011年02月18日

タイムス・新報にかみつく




マスコミは公平であることが大事である。しかし、琉球新報政治部長松元氏は政治家的な(事実を巧妙にゆがめる)発言に近い。
「沖縄に新たな海兵隊航空基地を押し付ける論拠にした『抑止力』は虚構」と述べている。しかし、辺野古の基地新たな基地ではなく普天間基地の移転である。沖縄に今までなかった新しい基地をつくるということではないのだ。革新政党の政治家はみんな「移設」ではなく「新しい基地をつくる」という表現を故意にやっている。松元氏も政治家と同じ表現をつかっている。これは不公平な発言だ。

鳩山氏は首脳の集まった晩餐会でオバマ大統領に普天間問題のことを話し、「私を信じてくれ」とオバマ大統領に言っている。
晩餐会でそんなことを言った鳩山首相には、なんの前交渉をしていなくても首脳同士が話し合い、その場で約束をすれば実行できると考えていたところがある。鳩山氏は首相という座にいるものは独裁的に振舞うことができると考えていたがそれは錯覚だ。国家と国家の約束ごとが晩餐会などの席で約束を決めることはできるはずがない。ところが、鳩山氏は晩餐会で隣に座ったオバマ大統領に会い、自分の考えを訴えてオバマ大統領に理解してもらえれば解決するものだと考えていたのだ。それはとんでもない勘違いだ。国家と国家の問題はそんな簡単に解決できるものではない。

アメリカが辺野古移設に賛成するまでには何人ものアジアについての軍事や政治に詳しい専門家が情報を収集・分析し、日本の官僚とも会議を重ねた結果決め、彼らの提案を最終的に国務長官が了承し大統領も了承するのだ。アメリカの場合は大統領と他のスタッフとの信頼関係は強いし意見交換も盛んにやっている。
辺野古移設に関しては国務長官の仕事であり、大統領が詳しいことまで知っているはずがない。

そのような政治の世界を知らないで、自分が直接大統領に直談判すれば解決することができると思った鳩山氏は政治の世界を知らなかったのだ。

松元氏は、「公約に掲げた『県外移設』実現を目指したが、自らの戦略、指導力の弱さを突かれ、対米追従を断ち切れない閣僚と官僚支配の軍門に下った」と述べているが、鳩山氏の戦略というのは、現実を無視して実現の可能性は何パーセントなのか、また実現するためにはなにをすればいいのかを専門家と相談もしないで、「自分の希望」を側近に命じた程度の戦略とは呼べない戦略であり、封建社会の独裁国家の時の殿様政治のようなものだ。
戦略を立てるのなら、まず国内外の状況分析をして、どういう計画を立てれば実現するかを専門家チームを作って研究することだ。そんなことをしないで「最低でも県外」と公約した鳩山氏は首相失格であり、県外移設が実現しないのは当然だ。鳩山氏の「最低でも県外」は実現するかしないかは関係なく票集めのための無責任な公約だった。

鳩山氏の証言から見えるのは鳩山氏の政治に対しての無知ぶりだ。鳩山氏の証言が真実性、迫真性に富むと感じる松元氏もまた政治には無知であるといわざるをえない。

革新政党や知識人は戦後一貫して基地撤去=国外撤去だった。松元氏もそうであっただろう。もし、松元氏が「県外移設」を主張するなら、秋元氏は主張を転換したことになる。なぜ、国外撤去を主張してきた松元氏が「県外撤去」を認めるようになったのか釈明する必要がある。
松元氏は普天間基地には抑止力がないと主張している。抑止力のない普天間基地は日本にとって無用である。ならば「県外移設」をするべきではない。普天間基地は国外移転か廃棄しかない。ところが松元氏は「県外移設」を主張している。根拠がないのに、なぜ「県外移設」を松元氏は主張するのか。その説明が必要だ。過去に表面化した

今までの「県外移設」のアイデアは全て不可能であるという烙印が押された。松元氏が「県外移設」を主張するなら、「県外移設」先の提案もするべきだ。国に「県外移設」を要求するだけの松本氏は卑怯だ。

黒島氏は普天間ヘリコプター基地だけではなく沖縄に駐留している米軍に抑止力がないと主張している。しかし、他の普天間基地移設を反対している政治家や知識人は「米軍に抑止力がない」という発言は避けている。なぜなら米軍全体には抑止力あるという反論を食らうからだ。

尖閣諸島での中国漁船の巡視船への衝突。同じ事件の韓国での頻発発生。北朝鮮による韓国への砲撃。フィリピン、ベトナムと中国の領海争い。日本の周囲ではこのようなことが現実に起こっている。そして、アメリカ軍が引き上げたフィリピンでは領海争いで中国に負けている。劉氏のノーベル平和賞の受賞式にベトナムとフィリピンは中国の圧力で出席しなかった。
もし、アメリカ軍が日本から引き上げた場合、アジアの諸国や日本はどのようにすれば平和が保たれるのか。黒島氏は説明する必要がある。

アメリカ政府も日本政府も沖縄にアメリカ軍を駐留させることを目的にはしていない。戦後、拡大し続ける社会主義国家を防ぐためにアメリカ軍は沖縄駐留を強化した。社会主義国家の脅威がなくなるのにあわせて、沖縄のアメリカ軍基地も減少させてきた。現在は中国、北朝鮮の脅威を防ぐのが目的だ。黒島氏はアメリカ軍が日本・沖縄から引き上げても中国、北朝鮮の脅威はないというのだろうか。
尖閣諸島の領海を中国漁船が占領していたことは平気なのか。巡視船に中国漁船が衝突したことになんにも感じないのか。

もし、アメリカ軍が沖縄から完全に引き上げたら、中国は確実に尖閣諸島の占領を始めるだろう。そして、八重山、宮古近海を堂々と航行し、太平洋に自在に出て行くだろう。台湾、フィリピン、ベトナム等のアジアへの国々への圧力も増していくだろう。
黒島氏がアメリカ軍の沖縄からの撤退を主張するなら、このように予測される事態に日本・沖縄はどうすればいいかを説明する必要がある。

普天間基地の辺野古移設に反対している人が首相になったとき、皆辺野古移設を認めると私は思う。首相になったら日本山の頂上に立ち、国内、国外全てを見なければならない。そして、国民の安全に責任を持たなければならない。
そうなると、日本の安全のためにはアメリカ軍の抑止力が必要であることを認めざるを得ないだろう。
誰も好き好んでアメリカ軍駐留を望んでいるのではない。  

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2011年02月15日

元沖縄県知事太田昌秀批判 9

こんな沖縄に誰がした
1、 沖縄軍事基地強化の端緒―明治維新と沖縄

日本軍分遣隊の派遣と琉球王府側の抵抗

これは1875年(明治8年)に明治政府が琉球藩に分遣隊を設置した時の琉球藩と明治政府のやりとりを問題にしている。太田氏は1875年(明治8年)の日本の政治状況がどのようなものであり、明治政府はどこに向かって動いていたのかを考慮にいれていない。
大日本帝国憲法が発布されたのは1889年(明治22年)である。1875年(明治8年)は日本が江戸時代の封建社会から近代国家としての中央集権国家を目指している途中であった。

明治政府の動向を参考にしながら、太田氏の理論を批判していく。
明治維新から明治7年までの歴史を記録した。

慶応3年10月14日1867年11月9日大政奉還)。同年12月9日(1868年1月3日)に江戸幕府は廃止され、新政府(明治政府)が設立された(王政復古)。
新政府は天皇の官制大権を前提として近代的な官僚制の構築を目指した。近代的な官僚機構を擁する直接的君主政に移行した。
明治元年3月14日(1868年4月6日)、五箇条の御誓文の発布。
同年閏4月21日(1868年6月11日)、政体書を公布して統治機構を改めた。

明治2年3月(1869年4月)、議事体裁取調所による調査を経て、新たに公議所が設置された。

明治4年7月14日(1871年8月29日)には廃藩置県が行われ、名実共に藩は消滅し、国家権力が中央政府に集中された。

明治4年(1871年)には士族の公務を解いて、農業・工業・商業の自由を与え、また、平民もひとしく公務に就任できることとした。

明治5年(1872年)には徴兵制度を採用し、国民皆兵主義となったため、士族による軍事的職業の独占は破られた。

1874年(明治7年)、前年のいわゆる明治六年の政変(征韓論の争議)に敗れて下野した副島種臣、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平等が連署して、民撰議院設立建白書を左院に提出した。
薩長藩閥による政権運営に対する批判が自由民権運動となって盛り上がり、各地で政治結社がおこなわれた。
この建白書では、官選ではなく民選の議員で構成される立法議事機関を開設し、有司専制(官僚による専制政治)を止めることが国家の維持と国威発揚に必要であると主張された。これを機縁として、薩長藩閥による政権運営に対する批判が自由民権運動となって盛り上がり、各地で政治結社がおこなわれた。
このころには各地で不平士族による反乱が頻発するようになり、日本の治安はきわめて悪化した。

以上が明治政府のおおまかなながれである。
明治政府はすでに、廃藩置県、氏族の特権の廃止、徴兵制度の採用をしていたのだ。明治政府が目指しているのは近代的な中央集権国家であった。全国の藩を廃して県にする方針である明治政府は琉球が王府として存続すること認めていなかった。だから。琉球王府が王府として主張することが認められるはずはなかったのだ。

大田氏は、明治政府による分遣隊の沖縄駐留について「明治政府も薩摩が琉球の反乱を懸念して武器の保有を厳しく取り締まったのと同様に琉球藩内の安全を守るという口実で、逆に沖縄の人々を鎮撫するために軍隊を沖縄に常駐せしめようと図った」と理解している。しかし、明治政府が琉球の反乱を恐れていたとは考えにくい。明治政府は幕末から戦争の連続であったし、不平士族による反乱は頻発したがことごとく制圧している。明治政府が琉球王府を武力で制圧するのは赤子の手をひねるより簡単であった。武器の保有を厳しく取り締まったのは1876年(明治9年)に「廃刀令」を出し、全国で武器の所有を厳しく取り締まったのであり、琉球王府だけに要求したものではない。

太田氏は「半世紀もの長期にわたって国王として在位した尚真王が(在位1477~1526年)現行の日本国憲法を先取りする形で、琉球国内の一切の武器を廃棄して平和国家を志向した歴史的伝統があったからだ」となんと日本で戦国時代が始まった時代の頃の大昔の琉球王朝を例に出してきた。
琉球も三山が統一されるまでは戦争をしていた。それに八重山、宮古は琉球王朝が武力で制圧した。そして、奄美大島も武力で支配している。戦争がなくなったのは沖縄本島を中心にした島々をほぼ制圧したからである。琉球王朝に中国や九州を武力制圧する力がなかったからそれ以上の戦争をしなかったのだ。
太田氏は「琉球国内の一切の武器を廃棄し」たと述べているが、琉球王朝の武士以外の武器を廃棄したのであって琉球王朝が武器を廃棄したのではない。
平和が長く続いたのは琉球王朝だけではない。徳川幕府が支配した時代も長い間戦争もなく平和であったのだ。結果的に平和であったのを平和主義だと決め付けるのは間違っている。1609年に島津が琉球に侵攻した時は琉球王朝は島津軍と戦争をしいる。だから太田氏のいう「琉球国内の一切の武器を廃棄」したというのは事実ではない。琉球王朝が平和主義だったというのはまやかしだ。

明治政府と琉球王朝の対立は、琉球王朝は琉球王朝をなんとか存続しようとし、明治政府は廃藩置県を進めようとしている立場の違いから起こっていることである。
大田氏が琉球王朝の主張に賛成し、明治政府のやり方に反対するということは、太田氏は琉球王朝による沖縄の支配を認めるということである。つまり大田氏は武士の支配を認め身分制度を認めるということだ。

松田処分官は「琉球藩王家の体制、すなわち琉球の国体に関する事柄については、王家及び家臣が慎重に衆議をつくすため多少の日を費やするのも分かるが、分営設置の件は、王家が一々可否を論ずべき問題ではなく、王府は、ただひたすらに命令を遵守しさえすればよいにもかかわらず家臣たちがいたずらに時日を空費するのは、はなはだ不条理」と突き放している。廃藩置県をした明治政府にとって琉球王朝はすでに政治に必要のない存在だったのだ。その現実を受け入れることができない琉球王朝とのやり取りが展開されているだけだ。

太田氏は琉球王朝が善で明治政府が悪であるのことく書いているが、これは古い封建社会の支配者である琉球王朝と近代国家を目指している明治政府との対立の構図であり、封建国家である琉球王朝が崩壊していく過程として考えるべきだ。
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2011年02月09日

エジプトの若者が求めているのは民主主義革命

【津山恵子のアメリカ最新事情】
エジプトでデモに女性が参加するということ

 「革命」や「蜂起」と呼ぶのはたやすい。しかし、エジプトの人々が求めているのは、ムバラク大統領政権を倒すだけでなく、女性の行動範囲を拡大する、言論の自由など、実に多くの権利の向上や改善が含まれている。

 「もしかしたら、私たちは、自由、正義、名誉、人間としての尊厳を持つことができるのかもしれない」

 エジプト人女性政治活動家アスマ・マーフーズさん(26)のフェイスブックのビデオはこう始まる。私たちのように民主主義社会に生まれ、生活していると、正義や人間としての尊厳が何たるか、漠然としか考えたことがないが、彼女には恐らくそれが何か、明確な定義がある。

 彼女は、デモの引き金となった「4月6日運動」(若者が中心の草の根グループ)の創立メンバーの一人。これまでも、フェイスブックで自分のメッセージを発してきたが、自分の顔を映したビデオを出すのは、さすがに不安だったという。

 エジプトでは、女性では男性の家族に服従し、目立った行為をしないように育てられるという。ビデオを出すことで、家族が危険にさらされる可能性もある。

 しかし、マーフーズさんは、4人のエジプト人が家族を養えない貧困と屈辱の中で焼身自殺を図ったのを見て、「今は躊躇(ちゅうちょ)するべきときではない」と思い、1月25日の大規模デモにタハリール広場に行こうと若者に呼び掛けるビデオを作成した。

 「私は自分独りでもプラカードを持って広場に行きます。家にいてフェイスブックで情報を待っているのは罪です。広場に行って変化を起こしましょう」

 実は、エジプトでデモが始まった初期、報道写真やテレビ映像に、女性がほとんど映っていないのが気になっていた。写真が多いニューヨーク・タイムズも2月3日朝刊まで、ほとんど女性が映ったデモの写真がない。1月31日、ニューヨークのエジプト国連代表部前で開かれた在米エジプト人のデモの女性参加者に、真相を聞いた。

 ハンナと名乗る子供二人連れの女性は、周囲の様子を気にしながらこう話した。

 「エジプトで、女性がデモに行って、プラカードを持ったりするのは難しいと思います。父親や夫や男兄弟の言うことに従わないといけないので、一般的にはデモに行くことは許されないでしょう。でも、今は少しずつデモに参加する女性は増えています」

 また、エジプト系アメリカ人の政治活動家ムスタファ・オマール氏もこう語った。「男性が多い場所に女性が行くと、セクハラがつきまとう。言葉による侮辱もあるし、交通機関では触られたりすることは当たり前」

 マーフーズさんのビデオがいかに勇気あるもので、政治体制だけでなく、人権に及ぶ変革を起こそうという意気込みのものだったことが分かる。しかし、オマール氏は最近ラジオで、マーフーズさんがタハリール広場のデモに行って、生まれて初めてセクハラに遭わなかったと話しているのを聞いた。

 ウォール・ストリート・ジャーナル米国版も2月2日に「デモが女性や家族連れ、富裕層、宗教者まで広い層を集めるようになった」という記事を載せている。

 一方、2月5日の国連本部前の在米エジプト人のデモでは、コンピューターエンジニアのモハメド・エルタハム氏(26)が、雨の中、メガホンを握り、こう語った。「エジプトにいたとき、ずっと勉強がしたかったけどできなくて、米国に来た。貧乏だったし、希望もなかった。ただ、人間になりたかっただけだ・・・今、エジプトに行けば、人間になれるかもしれない」

 彼らの証言を聞くとき、エジプトが目指す「革命」がとてつもなく幅広いものであると同時に、男女平等や言論の自由という言葉の意味を思い知らされる。

ウォール・ストリート・ジャーナル 2月9日(水)10時19分配信

デモに参加した若者たちが政党をつくる動きも出ているという。若者たちのエネルギーがムバラク大統領を政権の座から下ろすのに利用されるだけではなく、自由、平等を実現するエネルギーにもなってほしい。  

Posted by ヒジャイ at 11:18Comments(0)TrackBack(0)政治

2011年02月08日

佐藤優「エジプト騒動と沖縄」批判





佐藤氏はエジプトが自由で民主的な総選挙を行った場合にイスラム原理主義政権が誕生したら北朝鮮との提携が深くなると想定している。

民主主義国家の政権は国民の支持を得るために国内の経済発展を目指すことが最重要課題である。今度のエジプトの反体制運動も貧困が原因している。民主主義国家にとって軍事面は二の次三の次の課題でである。もし、経済政策に失敗したら国民の手によって政権から下ろされるのが民主主義国家政権の宿命だ。だから、たとえイスラム原理主義者が大統領なり政権を握ったとしても、彼は国民の生活をよくするために経済政策を中心に政治をしなくてはならないのだ。

民主主義国家となったエジプトが独裁国家である北朝鮮と軍事面で提携するなんて馬鹿らしい話だ。エジプトが民主主義国家になったために北朝鮮と軍事面で関係ができ、そのあげくに沖縄の基地の縮小に影響するなんて荒唐無稽の話だ。

沖縄のアメリカ軍基地は中国と北朝鮮の脅威が原因しているのであり、中国と北朝鮮の脅威がなくなれば沖縄のアメリカ軍基地も縮小する。現実に中国の脅威は低くなっていて、それに応じて沖縄のアメリカ軍基地は縮小している。

私たちは、エジプトに原理主義政権が誕生することを稀有するより、エジプトに民主主義国家が誕生することを期待するべきだ。


  

2011年02月03日

共産主義運動に明日はない





「転向を拒否して最も頑強に闘争をした共産主義者は沖縄人と朝鮮人であった」と戦前戦中の非転向を美化しても、どんな意義があるだろうか。非転向者は他方では頑固者であり、戦後の民主主義思想に取り残された感がある。共産党や社会党が少数政党になったのは時代の流れについていけなかったからだ。
共産党一党独裁国家の第一人者でありアメリカと世界を二分していたソ連は1991年に崩壊した。ソ連が崩壊した途端にアジアの国々も中国、ベトナム、北朝鮮以外は社会主義国家から民主主義国家になった。ソ連が崩壊したということは共産主義に将来はないと示されたということだ。
共産党一党独裁の社会主義国家は政治が腐敗し国民を弾圧し、経済をどん底にしてしまうということがソ連崩壊で実証された。現在の北朝鮮をみれば明らかである。

中国は社会主義を維持し繁栄しているが、中国の繁栄はソ・スン氏が非難するアメリカ帝国主義流の市場原理を導入したからであり、もし中国が市場原理を導入していなかったら経済が破綻し、ソ連と同じ運命になっていただろう。

徳田久一は日本共産党を創立したメンバーの一人で沖縄出身である。戦後は国会議員にもなっている。しかし、徳田久一は暴力革命を主張した共産主義者であったためにGHQによって公の場から追放された。彼は中国に亡命し、中国で日本の暴力革命を目指していたが途中で病死した。
徳田久一の名をあげるということはソ・スン氏は暴力革命を目指している共産主義者ということなのだろうか。

ソ・スン氏は東アジアについて述べているのに、東アジアで大きな存在である中国や北朝鮮についてはなにも述べていない。「冷戦下における、戦争、侵略、虐殺、分断、弾圧」を問題にするなら、北朝鮮が南朝鮮に侵略したことや北ベトナムが南ベトナムに侵略したことや、中国がチベットを侵略したことも問題するべきだ。

  

Posted by ヒジャイ at 08:20Comments(0)TrackBack(0)知識人批判

2011年02月01日

学者はやっぱり駄目だ





学者は政治家ではないし経営者でもないから、経済を根本的な視点から追及できる立場にある。そして、仮定を立ててじっくり問題を掘り下げる研究をすることもできる。

沖縄の土は赤土で痩せていて農業には適さない。だからさとうきびは小さい。沖縄は島国で水が少ないから稲作には向いていない。せいぜいさつまいもが作れるくらいだ。石油などの資源も沖縄にはない。
こんな沖縄に130万人が住んでいる。世界のどこにこんな不毛な島に130万人もの人間が住んでいる場所があるのだろうか。

大阪市立大名誉教授宮元憲一氏は復帰前から沖縄の経済を見てきたというが、果たしてアメリカ軍基地経済なしに130万もの人間が沖縄に住むことができたのか、できたとすれば沖縄にどのような産業が発達していたのか。それを説明してほしいものだ。

農業や水産業で130万人の人間が沖縄で生きるのは不可能だ。日本の技術力は世界最高といわれている。しかし、それは本土のことであり沖縄には製造技術はない。だから、本土並みの製造業を発展させるのは沖縄には無理だ。

沖縄は島国であり、他国との交流は不便であり、資源はないし土は痩せている。こんな沖縄の人口が130万人であり東京都並みの人口密度であるのは異常である。あり得ないことである。宮本氏は基地経済が沖縄経済の発展を阻害しているというが、それでは130万人が生活できる自立経済の産業構造の仮説を立てることができるのか。残念ながら宮本氏にはできないだろう。

沖縄の人口が東京都なみの人口密度を成り立たせているのは基地経済と政府の特別優遇にある。政府の特別優遇も沖縄に基地があるからであり、実質的な沖縄の基地経済は数字以上のものがある。この現実と真っ向から取り組む経済論でない限り沖縄への真摯な提案は不可能だ。

沖縄の自立経済の問題は「県自ら開発計画作成を」すれば解決できるような甘っちょろいものではない。むしろこれまで順調に経済発展したのは国の官僚の指導があったからである。沖縄に自ら経済発展を飛躍させる能力があるかどうか疑問だ。

米軍基地の縮小はベトナム戦争を終わったときから確実に進んでいる。これからも進むだろう。日本政府の国債の借金が限度に近づいているから次第に政府からの援助は減っていく。沖縄の基地経済に変わる産業育成はまったなしだ。ほんとうに深刻な問題なのだ。

基地がなくなれば沖縄経済はよくなるなんてアホな考えであり、そんな悠長なことを言っている場合ではない。


学者であるなら政治の上っ面をなめるようなことはしないで、もっと根本的な追求をしてもらいたいものだ。


  

Posted by ヒジャイ at 17:07Comments(1)TrackBack(0)知識人批判

2011年01月27日

琉球新報「ひずみの構造」批判 4





沖縄の島ぐるみ運動といえば祖国復帰運動である。「祖国に復帰すれば、核も基地もない豊かな生活ができる」というのが祖国復帰運動のうたい文句であり、祖国復帰運動は同時にアメリカ軍事基地撤去運動であった。軍用地料の値上げを主張するということはアメリカ軍基地を認めるということであり祖国復帰運動とは相容れない。軍用地料の値上げに動いたのは基地容認派の自民党系の組織であり、祖国復帰運動を主張する革新系の組織とは対立関係にあった。

このことから考えると、島洋子さんの説明では軍用地の値上げを主張する島ぐるみ運動と、祖国復帰運動との沖縄には二種類の島ぐるみ運動があったことになる。しかし、軍用地主たちが大規模な集会を持ち島ぐるみ運動をしていた記憶は私にはない。軍用地主は働きもしないのにお金が入ってくる。だから軍用地をもっていない人間から羨ましがられたりねたまれたりしていた。
祖国復帰運動をしている側からは、アメリカ軍に土地を貸すということは戦争に加担していると見られていたし、軍用地主が軍用地料の値上げ運動をしたら、戦争を認めたよくばり人間として非難されていたはずである。だから軍用地主が表だって運動できるはずがなかったし、運動はしなかった。
軍用地の値上げは、現在と同じように土地連の代表者が政府と政治交渉をしたのであって、島洋子さんのいうような島ぐるみ闘争はやっていない。

アメリカ軍による土地接収への反対運動、米兵による殺人、婦女暴行、交通事故などへの抗議運動や犯罪を犯した米兵がアメリカ軍事裁判で無罪なったことへの抗議運動が島ぐるみ闘争として展開されたのであり、祖国復帰運動とドッキングさせることによって大規模な運動と発展していった。そのような祖国復帰・反基地運動に対して、「米軍は商業に打撃となるオフ・リミッツをちらつかせ闘争の沈静化を図った」のであり、軍用地料値上げ運動に対して、オフ・リミッツをちらつかせたなんてあり得ないことだ。笑ってしまう。戦後のたった60年余の歴史であるのにこんなに事実とずれてしまうとは信じられない。

普天間基地の辺野古移設に地元である辺野古は賛成している。辺野古はヘリコプター基地関連の仕事や収入が生じて過疎化にストップができるからだ。しかし、辺野古に基地ができてもなんの収入もない他の地域は辺野古への普天間基地移設に反対している。
基地から恩恵を受ける地域は基地に賛成で、基地からなんの恩恵も受けない地域は基地に反対するというのが沖縄の基地に関する基本構図である。

沖縄の島ぐるみ運動は、祖国復帰、アメリカ軍事基地撤去のスローガンでもりあがったのであり、共産党、社会大衆、公務員、教員、マスコミが主流になって展開されてきた。それは今も同じである。

「中部から人材が輩出されないのは軍用地料がある故、ハングリー精神が失われた」というのは間違っている。中部は軍用地が密集しているために街として発達しにくい。それに比べて那覇は軍用地がすくないだけでなく、県庁、那覇港、那覇空港と経済が発展する条件が揃っている。
環境の違いであって軍用地料は関係ない。そもそも多くの人間は軍用地料をもらっていないのであり、軍用地料をもらっている人間の割合は低いのだ。

  

2011年01月26日

琉球新報「ひずみの構造」批判 3




戦前の沖縄経済の中心は農業だったことは沖縄は第一次産業の時代であり産業が発達していなかったことを示している。沖縄では軽工業さえなく、着物は各家庭で機織りを使って芭蕉布をつくっていた。
農業人口が73%であることは農業が栄えていたということではない。第二次産業が発達していないということだ。産業が発達していな沖縄の人々は農業をするしかなかったし、貧しい生活を送っていたのだ。
農業で生活するには広い土地が必要である。しかし、沖縄の土地は狭い。だから親の土地を引き継ぐのは長男に限られ、次男、三男は農業を引き継ぐことができなかった。だから、農業をやりたい次男、三男を中心に沖縄の人々はブラジルや南方に移民した。
戦前は農業人口が73%であったことは沖縄の貧しさを現しているのであり、戦前の農業中心の沖縄経済では沖縄の人口の限界は50~60万人という統計もある。
島洋子さんは戦前の農業人口が73%であり、小規模農業であったことを述べているが、このような農業が沖縄の人々の貧困の原因であることは無視している。

それに、なぜアメリカ軍が「銃剣とブルドーザー」で強引に基地を建設したか、その理由を追及していない。
朝鮮戦争・ウィキペディア
犠牲 [編集]
板門店ソウルの支配者が二転三転する激しい戦闘の結果、韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人が死傷した。毛沢東の息子の一人毛岸英も戦死した[29]。

アメリカ国防総省によれば、アメリカ軍は戦死者3万3686人、戦闘以外での死者は2830人、戦闘中行方不明は8176人にのぼる。西側の推定によれば中国人民志願軍は10万から150万人(多くの推計では約40万人)、人民解放軍は21万4000から52万人(多くの推計では50万人の死者)をそれぞれ出している。また約24万5000から41万5000人にのぼる韓国側一般市民の犠牲が明らかにされ、戦争中の市民の犠牲は150万から300万(多くの推計では約200万)と見積もられている。

朝鮮戦争では市民の犠牲者が150万人から300万人も出たのだ。沖縄戦で県民が10万人も犠牲を出した悲劇を体験したのなら朝鮮戦争がこんなに多くの犠牲者を出していることに目を背けることはできない。
朝鮮戦争は社会主義と資本主義の対立から起こった戦争である。
アメリカが社会主義の拡大を防ぐために日本、沖縄の軍事基地を強化したのは当然の流れである。

「米軍政下にあった沖縄では海外移民続いた」というのはおかしい。ブラジル移民は戦前に盛んに行われたことである。ブラジル移民が盛んに行われた原因は沖縄の土地は狭くて農家が貧困だったからであり、米軍政下でなくてもブラジル移民は行われていただろう。
「沖縄本島中南部の多くの優良農地が米軍に基地として強制接収され」たとする島洋子さんの見解には疑問だ。私は1970年代半ば頃から南部のほうに住んでいたが、島洋子さんのいうような風景は見受けられなかった。南部は広大な土地にさとうきび畑が広がり、米軍基地は見当たらなかった。南部の米軍基地のほとんどは自衛隊基地になっているが、自衛隊機地を見つけるのが難しいくらい基地の敷地は小さい。そのことから推理すると、南部の優良農地のほとんどは強制接収はされていないはずだ。

この土地の強制接収の問題を扱うとき、必ずといっていいほど伊佐浜の強制接収のことが扱われるが、むしろ伊佐浜の強制接収は特殊なほうではなかっただろうか。読谷では、渡久地と楚辺はアジア最大の通信基地を建設するために部落ごと強制的に移された。移す場所は米軍が荒地をブルドーザーで整地した。
社会主義圏と資本主義圏の対立によって朝鮮戦争が起こり数百万人の犠牲者が出たのだから、私は社会主義圏の拡大を防ぐために、渡久地と楚辺を移動させて通信基地を建設したことに反対はしない。

  

2011年01月25日

琉球新報「ひずみの構造」批判 2


沖縄のアメリカ軍による土地の接収を問題にする時、アメリカ軍が土地を接収した原因については追求しないのが普通である。政治家、知識人、そしてマスコミの全てがそうである。だから、ほとんどの県民はアメリカが沖縄の土地を接収した原因を知るには自分で調べなければならない。

島洋子氏が書いている「ひずみの構造」も例外ではなく、アメリカ軍の「銃剣とブルドーザー」よる強引な土地接収については書いているが、なぜアメリカ軍は強引な土地接収をしたかについては書いていない。

アメリカは終戦当時は沖縄に軍事基地を築く積もりはなかったはずである。アメリカが一番恐れたのは日本が再び軍国主義国家になることであり、その対策してアメリカは平和憲法を作り、議会制民主主義国家にする努力をした。
ところがアメリカが予想していなかったことが突如として起こった。朝鮮戦争である。1950年に突然北朝鮮が国連で決めた南北朝鮮の国境線である38度線を破って成立したばかりの大韓民国に侵攻したのだ。そして、朝鮮半島の95%を制圧した。
予想もしていなかった北朝鮮の侵略に驚いたアメリカは大韓民国をまもるために25万人の兵士を投入した。最初は苦戦をしていたが攻勢に転じて逆に北朝鮮を追い込み、朝鮮戦争は1953年7月27日に休戦した。
1949年には中国共産党によって中華人民共和国が建国されていたし、戦後は資本主義国と社会主義国の対立が高まっていって、朝鮮戦争が起こり、アジア大陸の多くは社会主義国家に変貌した。
アメリカが沖縄に軍事基地をつくった原因は社会主義国家の拡大を防ぐためだった。注目すべきは軍隊を使って勢力拡大を図ったのは社会主義国家であり、アメリカは国連で決めた国境線を守ろうしたことである。
もしアメリカ軍が日本・沖縄に駐留していなかったら沖縄は中国に侵略されていただろう。そして、日本軍が中国で行った残虐行為の影響で悲惨な目にあっていた可能性が高い。

沖縄のアメリカ軍駐留を問題にするなら、中国、北朝鮮等の社会主義国家について追求しなければ意味がないし、共産主義、社会主義、民主主義について真剣に考えなければならない。そして、共産主義思想を支持するか、それとも民主主義思想を支持するか自分自身の態度を明確にする必要もある。沖縄の反基地運動は共産党や社会大衆党などの反資本主義・反米主義を主流に発展したきた。だから表面的な反戦平和主義運動と同じではない。

沢岻さんはインドシナ戦線に参戦している。沖縄の人の多くは南方に出兵しているようだが、日本軍は南方を武力で制圧し、土地を奪い植民地にした。植民地には多くの沖縄の人間が移住して農業をやった。沖縄人も含めた日本は南方ではなんの罪もない人々を殺し土地を取り上げたのだ。沢岻さんはアメリカ軍に土地を奪われたことに「立ち直れないほどの衝撃」を受けても、南方で武力で現地人から土地を奪ったことの反省は全然ない。沢岻さんだけでなく、沖縄の知識人、政治家、マスコミは沖縄の人々が南方に移住したのは日本軍が武力で植民地した場所であったことや、沖縄出身の兵士の多くが南方の植民地化に参加したことを無視している。サイパンなどの南方への慰霊団の口から南方を植民地にしたことを現地の人々に謝るのを聞いたことがない。残念なことである。

島洋子氏は「人々の生産基盤であった土地は軍用地のみを生み出す場に変質し」と書いて、沖縄の畑のほとんどがアメリカ軍基地になったような印象を持たせているが、果たしてそうだろうか。読谷の軍用地のほとんどが黙認耕作地となり、さとうきびやさつまいもを育てるには大きな影響はなかった。沖縄で一番大きい平地で畑作に適している那覇以南の土地は軍用地に接収されることもなく農業に影響を与えていない。
そもそも沖縄は島国であり灌漑施設は貧弱で、土は農業に適さない赤土である。だから沖縄ではやせた畑でも育つさつまいもの栽培が主流であったし、灌漑施設がなくても育つ暴風にも強いさとうきびが換金作物として栽培されたのだ。沖縄では伊佐浜のように恵まれた畑はすくないのであり、沖縄の畑が伊佐浜と同じであると考えるのは間違いだ。

島洋子氏は、「沖縄の土地が軍用地料のみを生み出す場にし、戦後の沖縄の経済構造を変えていく」という発想で沖縄経済を考えているのならとんでもない間違いをする。

沖縄の人口密度は東京都なみである。沖縄のような赤土の島国が大都会東京と同じ人口密度の高いところは世界のどこにもない。もし、沖縄の生産が農業を主流にしているならば沖縄の人口は現在の半分以下であるだろう。つまり半分の人間は餓死するということだ。

なぜ。沖縄の人口密度は東京なみに高いのか。それはアメリカ軍基地経済と密接に関係している。

  

2011年01月23日

普天間基地問題の本の多さにはうんざりだ


普天間基地に関係する本がまた出た。去年も何冊もでたが、本のほとんどが似たり寄ったりの内容だ。
このような類の本は、沖縄が日本唯一の地上戦になった悲劇の島であることを強調し、日本がアメリカを急襲して太平洋戦争を始めたことが沖縄の地上戦の原因となったことは書かない。

戦後に中国で社会主義革命が起こり、社会主義国家となった北朝鮮はなんの予告もしないで韓国に進撃して朝鮮半島の95%を征服した。それに対してアメリカ軍は25万人を投入して北朝鮮の韓国を支配を防いだ。中国はチベットを武力支配し、台湾をも支配しようとしたが、台湾はアメリカがバックアップして中国の武力支配を防いだ。このことははっきりした歴史的事実である。しかし、普天間基地を問題にする本はそのことを書かない。
アメリカが沖縄に軍事基地を作ったのは中国を中心とする社会主義国家の拡大を防ぐ目的があったのであり、もし、中国、北朝鮮、北ベトナムなどの社会主義国が武力による勢力拡大の欲望がなく、他国へ侵略する可能性がゼロであったなら、アメリカが沖縄で軍事基地を築くことはなかった。

それなのに、中国や北朝鮮の存在と沖縄のアメリカ軍駐留の関係は全然書かないで、沖縄は「米軍に占領されて勝手に基地の島に作り変えられ」てしまったと、まるで沖縄を基地にすることがアメリカの直接の目的であるように普天間基地問題を題材にし本は書くのだ。知識人であるなら、朝鮮戦争は北朝鮮が侵略して始まったこと、ベトナム戦争は北ベトナムが南ベトナムに侵略して始まったことを知っていて当然である。アメリカは北朝鮮や北ベトナムの侵略を食い止めようとしたのであり、南ベトナムや韓国を植民地にしようとする意志は全然なかった。アメリカが沖縄に軍事基地をつくったのは社会主義国家の拡大を防ぐのが目的であったのだ。

沖縄の基地問題はアジアにおける社会主義と資本主義の対立、共産主義と民主主義の対立の問題として考えるべきであり、沖縄のアメリカ軍基地を問題にするのなら、社会主義を選択するか民主主義を選択するかを自分に問わなければならない。

もし、アメリカ軍がアジアにいなかったら、韓国は北朝鮮に支配されていた。日本は北海道はソ連に支配され、本州から沖縄、台湾は中国に支配されていた。まさかそんなことはあり得ないと思う人は甘い。中国人民解放軍は人民を開放するという名目でウイグル地区などのアジア内陸部の地域を武力で制圧し、仏教国である広大なチベットをも武力で制圧している歴史的事実があるのだ。
このような歴史的事実をみればアメリカ軍が駐留していなければ日本・沖縄が中国に占領されていたと容易に想像できる。

CIAの援助がなければ岸は首相になれなかったというのだろうか。確かにCIAは保守勢力が政権を握るように暗躍していた。しかし、日本は議会制民主主義国家であり、CIAの思うとおりにできたわけではない。CIAの援助で岸信介が首相となったと決め付けるのは日本の議会制民主主義と国民を愚弄している。

宇沢氏が「岸信介は、『日本をアメリカの植民地化することに狂奔した』」と書いたことを手厳しいと江上教授は評価しているが、宇沢氏は、アメリカが日本に軍事基地をつくっている原因はアジアの社会主義国家の存在にあるのに、そのことを全然考えていない。宇沢氏はアメリカは日本に軍事基地をおいて日本を支配するのを目的にしていると考えているがそれは大いなる誤解である。そもそもなぜアメリカが日本を植民地する必要があったのか。日本はアメリカの植民地にされて搾取されたのではなく、アメリカと貿易をして経済が発展し、小さな島国であるにもかかわらず世界第二位の経済大国になったのだ。
世界第二位の経済大国になった日本がアメリカの植民地であるなんて笑わせる。
「岸信介は、『日本をアメリカの植民地化することに狂奔した』」は宇沢氏の視野の狭さ、被害妄想が如実に現れている文章である。

アメリカほど現実主義の国はない。ソ連が崩壊し自由主義経済国家に変貌しつつあることや、中国が市場経済を導入して経済発展しているという現実とアメリカは常にリアルタイムで対応している。アメリカにはとっくの昔に冷戦思考はない。「アメとムチ」という理屈は沖縄の知識人が勝手に作り出した的外れの理屈であり、アメリカや日本政府の基地政策を「アメとムチ」論で判断することがおかしい。

基地として土地を借りたら借地料を払うのは当然であり、軍事基地ができたら現地の人間を雇うのも当然だ。基地をつくることはムチであり、借地料を払ったり、雇用したりするのがアメという理屈はおかしい。基地ができたら経済的に潤うことをアメとムチ論で非難するのは理論的に間違っている。

沖縄のアメリカ軍基地を問題にするなら、社会主義国家である中国、北朝鮮の存在と関連づけて問題にするべきだ。

オバマ大統領は中国の胡錦濤主席に北朝鮮に核開発をやめるように圧力をかけるように要請した。そして、もし中国が北朝鮮に圧力をかけないのなら、東シナ海でアメリカの軍事力を増強させると言った。アメリカは北朝鮮の核開発や軍備増強を抑える努力をしている。他方、中国との経済交流を高めることにも積極的である。経済交流が高まれば高まるほど戦争の危機はうすれる。アジアの平和に一番貢献しているのはアメリカである。

このようなアメリカの動きを評価することもしないで、沖縄に駐留しているアメリカ軍事基地の存在だけを問題にして、やれ冷戦思考であるとかやれアメとムチであるなどとアメリカや日本政府を非難しているのは古くて頑固な考えである。  

Posted by ヒジャイ at 19:50Comments(0)TrackBack(0)知識人批判

2011年01月22日

中国漁船の尖閣侵入激減





中国漁船の船長を逮捕して以後は中国漁船の侵入は激減している。中国には毅然とした態度で対応することが最良であることを示している。
マスコミは尖閣問題で盛んに中国観光客の激減を報道し、中国と対立することは日本のマイナスであるように報じていたが、中国への日本の観光客も減るのであって中国も打撃を受けるのだ。実際に、日本からの中国観光は激減している。
中国の場合は国民が日本への観光を自主的にやめたのではなく、中国政府が強引に日本への観光を禁止した。だから、政府が禁止を解くと再び中国からの観光客は増えた。中国のほとんどの国民は尖閣問題を知らないし、興味もなかったのだ。観光については結果的には中国のほうが打撃を受けている。

アメリカは中国との貿易は歓迎しているし積極的である。中国の経済成長はアメリカと貿易をしたからだ。しかし、アメリカは中国と貿易を推進しているからといって中国批判を遠慮しないということはない。
アメリカは中国の人権問題には厳しい発言をしているし、ノーベル平和賞を受賞した劉氏の釈放を要求している。台湾が中国との軍事バランスを保つために台湾に戦闘機の売却をしたこともある。
それでも、中国とアメリカの経済関係が悪化したことはなかった。

日本が尖閣問題で中国と対立すると経済に悪影響を及ぼすというのは間違った考えだ。日本は法治国家なのだから法に従って行動すればいい。漁船が日本の領海内で漁をすれば取締り、巡視船に衝突すれば逮捕して裁判をする。日本もアメリカと同じように毅然とした行動をすればいい。

尖閣諸島の領海は日本の領海としてちゃんと守り、日本の漁船が安心して漁ができるように日本政府は努力しなければならない。  

Posted by ヒジャイ at 09:04Comments(0)TrackBack(0)尖閣列島問題